<ローコストで売る建設会社の一例>
   最近はローコストを売り物にする建設会社も増え、安いところは坪単価が25から30万を切っているのが当たり前になっている。普通の場合が例えば坪単価60万位とするなら、何故彼らがその半額以下までコストを下げられるのか?実は私自身、一時だが坪単価30万を切る建設会社で設計士を務めた事がある。その経験から、分析をしてみよう。大きくは二つの理由をあげられる。一つには企業努力。二つにはごまかしと言わざるを得ない。
    企業努力の方は、1、資材の一括搬入。倉庫を持ち、安い時に安い物を大量に仕入れ、それを利用できる設計にする。2、資材や仕上げ材の各メーカーと企業提携し、常に決まったものを使う約束事で仕入れ値を安くする。3、設計技術力。先に述べた、施工者の手間のかからない設計にする事でコストをあげない。逆に言うと設計は制限される。
‘ごまかし’、或いは言葉を変えるなら‘無理’の理由を説明すると、1、目に見えない部分、気づきにくい部分でのコスト削減。2、何と言っても、人件費を最低賃金に抑える。プロとは言えない人々を安く使う。職人から現場監督に至るまでの全員、プロの世界では使って貰えない素人を、その足元を見た額で働かせる。3、設計を省く。建築を勉強した事がない営業マンにプランさせる。私、設計士がそれを、法的に、コスト的に、技術的に物理的に実際に建てられるプランに手直しし、確認申請業務専門の社外設計事務所に流し、設計事務所はそれを事務的に処理をしていたのが現状だった。誰も責任を持たない、この設計の流れ作業に、海外の設計事務所から帰国して直ぐだった私は唖然としたのだが、日本で働いていくということは、こうした企業社会のあり方も飲み込まなければならないのだと思い込んだ。
『ローコストでありながらも‘注文住宅’』というのが売り口上であったが、私が思うに、一応なりにも設計士の設計によって建てられた安価な建売住宅を求める方が正解である。何故なら、当時私はその会社で、常時約30人の営業マンに対してただ一人の設計士で、膨大な仕事量に忙殺され、正直なところ、営業マンのお絵かきプランを目をつぶって横に流していたのである。私の主な業務内容は、設計料を別途請求する極めて困難な条件の特別な数点の設計と、営業マンのプランを万が一にも契約がそれで決まる場合に備えて手直しし、具体化し、キャドオペに流す事だったが、一回や二回では決まらない営業マンのお絵描きは、毎朝必ず2、3件既に私のデスクに置かれており、朝礼が終わると同時にどうしても自分の分を優先させて欲しいという営業マンからの電話が相次いで鳴った。キャドオペが欠けた際には、その役もこなさなければならなかった。営業は時が勝負なだけに、迷っている一刻の猶予も許されない。私は、実際に住む事になる施主に対して、日々、心の痛みを増し続けるしかなかった。キャド(コンピューターで製図する事)で仕上げた図面は、どんな妙ちくりんなプランでも一応なりの見栄えにはなってしまう。素人の施主が、初めてそんな専門的な図面を見せられたら、それがどんな内容であるかは本当には把握しないまま、早急に夢が実現化していく気分に浮かれてしまうのだ。しかし、契約は図面をもって行われるので、工事が始まってから気づいても遅いわけである。
   やがて、施主の目に見えるところだけ一応なりに整えられて、一見したところはそれなりの家が建つ。しかし、雨が降る度、電話が嵐の如く全回線鳴り響き、社員の誰もが電話を取りたがらないのが現状だった。引渡し後半年もしない内から雨漏りするのが常だったのだ。施主への対応は決まって、「当時の担当者がいないので、よくはわかりませんが、誠意を尽くして早急に対処いたします。」だ。事実である。私の知る限り、当時の担当者というのが居たためしがない。で、誠意を尽くして早急に対処はするのだが、次の対応者というのも素人で、その次の対応者もまた素人だ。だから、四六時中クレーム処理に追われまくり、それが永遠に続き、社員の一人として長続きしない。私も半年で辞めた。
    そんな風で、恐ろしくて直角以外の壁も手すりも絶対にデザインできなかった建設会社であるが、今だ会社だけは健在である。今では‘夢の三階建てツーバイフォー住宅’と高々と掲げ、それどころか、ローコスト住宅のノウハウを書いた本も出して益々健在のご様子だ。
 
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